hysysk:old

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火曜日, 2月 14, 2006

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諸芸のリズム
リズムの座標軸は時間
過去の楽節は現在のものより不明確.
空間的表現よりも時間的表現で決定的.
創造意識の作用として他分野と比較しつつ見ると重要さが
理解できる.

風土とリズム
芸術表現と自然環境や社会的構造の関係
ドイツの経済学者カール・ビュッヒャ『労働とリズム』
起源を労働に求め過ぎていると比較音楽学クルト・ザックス
による批判.
しかし関係そのものを否定するものではない.

日本,東南アジア諸民族の舞踊→農耕作業(重心を安定)

動物と一緒に生活することによる躍動的リズムを基礎とし,
人間的な姿勢を保とうとするヨーロッパや西アジアのリズム感
→遊牧,牧畜
これらが服装によりさらに表現の制約に影響する

農村
隣人は友人であり宿敵.調和と均衡.家柄や血筋.
遊牧,牧畜
個人の自由.対照性の尊重.
村人が集まって歌い踊る時にこの違いが反映される.

農耕的季節感と牧畜的即応性
種を蒔き,芽を育て,除草をして,収穫するまでの一年のリズムが
生活様式を制約.漸次的変化の中に人間の充実感を得る.
馬子唄,追分のリズムは西アジアやヨーロッパのリズムでは説明不可能.
7775の音韻律.
7は34ないし43に分けられる.

日本の諸芸に見える序破急
初めはゆっくり,中ほどでテンポを上げ,終わりに急速に事を運ぶ.
インドや朝鮮の三段階のテンポとの違い
1.独立したパートでなく,一続きになっている.
2.破は変化の可能性を示す部分としての性格を含み,とらえ難い.
3.急は一点集中の簡潔さを持ち,その最終部では逆にテンポは落ちる.
→序への回帰性を暗示.とはいえ序破急は一方向への流れである
(去年の春は今年の春とは違う).

序は準備や期待.
いきなり主題を提示するソナタ形式などは破格.

三分割リズムと生活基盤
「日本音楽には三拍子がないのに,朝鮮・韓国の音楽は三拍子
ばかりなのは何故か?」
韓国の農民の踊りである農楽,学生の行進などの音楽が三拍子
でないとそろわないとさえいわれている.聞くだけでなく,
身体表現としても好まれている.
→疑問.基盤はやはり二拍子で,生活から芸術への発達段階で
三分割リズムへと変化するのでは?
わらべうた,仕事唄で三分割リズムはほぼなし.
仕事唄は作業中にうたうのではなく,仕事を思い出し,成果を
よろこび,願うためのものである(筆者の持論).

芸術音楽と民族音楽の区別.リズムなどの観点からはほぼ違いはない.
芸能化した民謡と「音楽以前の歌」の間に大きな溝がある.

人類の音楽は,生活の基盤に密着しているのではなく,逆に離陸して
いなければならない.

livegame

ライフゲームのアルゴリズムでリズムマシンを制御する
アプリケーションを作っています。
バージョン1では音を鳴らすトリガを送る部分と、
音を生成する部分が一体化しておりましたが、
バージョン2では、モジュールに分けることで、好きな
音色を呼び出して音を鳴らすことができるようになりました。
>ダウンロード(Mac OS10.3.9以降推奨)

バージョン3ではマシン部分はトリガだけにして、
パラメータは各モジュールを呼び出してからそれぞれ
操作するようにしたいと考えています。

今月の23日から25日まで行われるIAMAS 2006で別バージョンの
game of liveという作品(映像付き)を展示しますので、
もしお時間のある方は是非お越し下さい。

動かねー!とかありましたら連絡下さいませ。
興味がある方にはソースも配りますのでよろしくお願いします。

木曜日, 2月 02, 2006

onkon

「音楽の根源にあるもの」
小泉文夫の著作です。
わらべうたについての考察などを読んでいると、
サンプリング・リミックス文化というものが高度な
テクノロジーを用いて原始に回帰しているような
感覚さえしてきます。わらべうたに完成はなく、
絶えず改変され、沢山のヴァリエーションが
生まれては消えていくということを繰り返しながら
広まっていくのです。

一体その生命力は何なのだろう、と小泉はいいます。

何となく、椹木が「シミュレーショニズム」でハウス
ミュージックは質の低さにも関わらず大量に作られたが
故に強度をもったと主張するそれに近いものがある
ように思います。椹木はドゥルーズ/ガタリを持ち出して
資本主義と分裂症がどうのと述べていますが、僕にはよく
わかりません。が、単に数を打てば当たるという話ではない
何かがあるように思います。

音楽の広まり方、については非常に興味があり、一体
何が「スタンダード」となりえるのか、ということに
ついてよく考えます。音韻情報によってコントロールされる
感情や、今まで聴くことのなかった周波数で鳴らされた音
による身体感覚の拡張、これらが「音楽」と称され人々に
受け入れられている状況。ジャンルやそれを享受する
コミュニティなどなど...。この本では農耕民族と狩猟民族で
異なる音楽の性質などが取り上げられています。本当?
とか言い過ぎじゃない?なところもいっぱいですが、
それも含めて面白いです。

その他にも、角田忠信、岩田宏、谷川俊太郎との対談は
どれも刺激的で、これらが70年代に話されていたとは
信じられないほどです。逆にいえば全然進歩してない
ということです。それほどまでに「根源」たりえている
話なのかもしれませんが(もう進歩という考え方自体
どうなのか怪しいですね)。とにかく、ここから現代に
おいても適用できる考えに色々と接続可能なので、結構
読み返しています。

レジュメ
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